嵯峨焼

 京都・嵯峨の天龍寺の御庭焼として、昭和10年(1935)ごろ、永楽和全(1823-96)の下で働いていた斎藤快楽が、新たに築窯
した楽焼の窯である。築窯の場所は不明。銘印に「さが」枠なし印が使われている。
 初期の嵯峨焼は、文化・文政年間(1804-30)後に焼かれたものもあり、嵐山の名所土産として作られていた。
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